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福岡高等裁判所那覇支部 昭和52年(ネ)19号 判決

控訴人

新城千枝子

ほか七名

右代理人

宮城隆

被控訴人

大野紀子

ほか三名

右代理人

鉢嶺清馨

ほか三名

主文

控訴人らの控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1記載の事実については当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、内国砂糖は株式会社鈴木商店の子会社であつたが、鈴木商店が昭和二年四月頃に倒産したために、内国砂糖も事業の継続ができなくなつて清算手続に入らざるを得なくなつたこと、その資産処分も含む清算事務は、右鈴木商店の取締役であつた谷治之助に一任されていたこと、亡藤原廣義は昭和一五年一一月一日内国砂糖代理人の右谷から本件土地を買い受けたことが各認められる。

右認定事実に対し、〈証言〉によると、当時内国砂糖の代表社員であつた上村政吉は、昭頼三〇年頃右高崎に対して、「本件土地を藤原廣義に売つたことはない」旨述べていたことが認められるが、右供述は、前掲廣義本人尋問の結果や、実際に清算事務を担当したのが右谷であつて、右上村が具体的な財産の処分を熟知していたとは考え難いこと等の事情に照らすと、直ちに措信することはできず、また他に右認定を左右するに足りる証拠もない。

請求原因3ないし5記載の各事実については、当事者間に争いはない。

二  控訴人らの主張について

(一)  弁済について

弁済による本件土地所有権の復帰について判断するに、本件土地が内国砂糖に譲渡担保の目的で所有権移転されたことは当事者間に争いはないところ、控訴人らの主張によつても被担保債権一万円のうち二五〇〇円を弁済したのみで、残余は単に弁済の提供をしたに止まるというのであるから、それのみでは(残債務について供託したとの主張・立証はない)被担保債権は消滅せず、従つて本件土地所有権が亡新城徳助に復帰することもなく、控訴人らの主張は失当である

(二)  取得時効について

亡徳助が本件土地を譲渡担保に供したことは、当事者間に争いがないところ、控訴人らは、右譲渡担保設定時を起算点として時効期間が進行したとして取得時効を主張する。

先ず時効の起算点について検討する。時効は、その基礎たる事実の開始した時を起算点として進行するものと解されている。しかし目的物が明らかに占有者の所有に属し、その所有権の帰属について実質的な利害の対立がない場合――例えば売買当事者間において売買契約締結後も、売主が所有の意思をもつて占有を継続した場合の契約締結前の売主の占有、あるいは二重売買の第一買受人と第二買受人との間において、第一買受人が占有を取得した場合の売主の占有(従つて第一買受人は前主の占有を併せて主張することは許されない)――には、時効は、その進行を開始しないものと解するのが相当である。けだし斯る場合にも時効の進行を認めると、利害の対立が発生した後短期間の経過で時効により所有権を取得することを認容せざるを得なくなり、不合理な結果をも招きかねないからである。

そこで本件認渡担保について判断する。本件譲渡担保は、被控訴人らにおいて特段の主張もしないから、内部関係においては、設定者に所有権が保留されているものと認められる。先ず譲渡担保設定前の亡徳助の占有については、何ら利害の対立は存しない(控訴人らもその間の占有を時効期間に算入すべきだと主張はしていない)。他方債務不履行により譲渡担保権者が本件土地の所有権を取得するとか、あるいは第三者が譲渡担保権者から本件土地を譲り受けるとかの事由が生じた場合には、利害の対立が生ずることは明らかである。

そこで譲渡担保設定後右事由の生ずるまでの占有が問題となるが、当裁判所は右期間の占有も譲渡担保設定前の占有と同様に解する。何故ならば、右期間中間本件土地が亡徳助の所有であることに何ら問題はなく、また利害の対立も生じていないからである。

右の観点に立つと、本件土地の時効の起算点は、亡廣義が内国砂糖から本件土地を買い受けた時点――前掲認定により昭和一五年一一月一日――ということになる。〈証拠〉によると、本件譲渡担保の被担保債権には期限の定めがなかつたことが認められ、債務の不履行により内国砂糖が本件土地の所有権を取得したと認められる証拠はない)。ところが〈証拠〉によると昭和一五年六月および同年一一月頃の本件土地は、全く荒れ果て、一〇数年来管理されないまま放置されてきた状態にあつたことが認められるので、右起算点時において、亡徳助は本件土地を占有していなかつたことになり、その他の点について判断するまでもなく、控訴人らの時効の主張(一〇年および二〇年とも)失当である。

従つて、爾余の点の判断は必要なきことに帰するが、敢て、控訴人らが時効完成時であると主張する昭和五年一二月中旬ころ、あるいは昭和一五年一二月中旬ころにおける亡新城徳助の本件土地に対する占有の有無について付言すれば、なるほど、控訴人らの主張に沿う一応の証拠は存するが、なおこれらを仔細に検討すると、本件土地を含む亡徳助の所有していた土地の管理を任せられていた新城太郎は大正一二年ころ内地に赴いたため右土地の管理をやめたことが認められ(尤も同人は昭和二年ころ帰郷して本件土地の管理を再開した旨を述べているが、何故本件土地のみの管理を再開したかについての合理的な理由を欠くばかりか、前掲認定の本件土地の占有状態に関する事実に照らしても、この点は到底措信できない。)、他方、前掲認定のとおり本件土地は一〇数年来管理されないまま放置されてきた状態にあつたものでこれらを総合すると、本件土地は少くとも昭和初年ころから放置され続け、昭和一五年末当時も同様であつたと推認することができ、これに反する前掲各証拠はいずれも措信できず、他に、亡徳助が昭和五年一二月中旬、あるいは昭和一五年一二月中旬ころ、本件土地を占有していたことを立証する証拠はないから、この点においても、控訴人らの取得時効の主張は、いずれも失当として排斥を免れない。

三右のとおりであるから、本件土地は被控訴人らの共有に属し、控訴人らは請求原因3記載の各登記を抹消すべき義務(亡新城徳助名義の登記については、控訴人新城千枝子、同新城和秀、同新城和道、同新城和明、同比嘉光子、同新城和廣の六名が相続人として)があることになる。

よつて被控訴人らの請求を認容した原判決は相当であつて本件控訴はいずれも理由がないから、民事訴訟法三八四条、九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(門馬良夫 比嘉正幸 新城雅夫)

物件目録(一)、(二)〈省略〉

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